900×900 => 250×250
IBA_24.png/248KB
|
| まだ、聴けないままの、本心。 少年を通じて、渡してきた、品々の。
『何か』思う所は、確かにあるのだろうけど。 まだ、『逢う気に成れない』か、『逢いたくない』か。 何にせよ、顔を合わせる事は、迷惑になるのだろう、と考えて。 あちらから、赴いて来るまで。 自分からは、呼び出す事も、連絡をする事自体も、控えるのではなかろうか。
もっと、色々言ったほうがいいと思う。 少年に言われては、みたけれど。
逢いたがらないひとに、無理に逢おうとするのは、よくないだろうし。 おくりものは、間違いなく、本当に、莫迦みたいに嬉しかったし、嬉しいけれど。 それに浮かれてはいけない、と。 今までの自分が、警告を発してくる。
少し、間を置いて、改めて考えるたび。 昔から、昔を知ってる方からすれば。 自分のことは、結局、小さい子供のまま、そういうふうにしか見えてないのだと。 どうしたって、支えることも、隣に立つことも、できはしないのだと。 しっかり、想い出せ。 思い上がるな。
頼る先のない人の、頼りになりたかった。 なれなかった。 なりたいだけでは、なれないのだ。 なることはできなかったと、いい加減に、認めるべきだ。
たぶん、自分が、知らないだけで。 頼る先は、もう在るのかもしれない。 だから、だから。 そっとして、おくほうが、きっといい。
そうやって、そうやって。 云い聞かせながら。 できるだけ、できるだけ。 健やかでいてくれることを、ただ、願って。 逢わない日々を、静かに過ごしていくのだろう。
-----
VIVAで言った、『野郎同士だし』の意味は。 同性関係がおかしなものである、という認識から発したものではなくて。 『女の恋人がいた』という、過去の事例から。 叔父の恋愛志向が、『女性にしか向いていない』ものである、と推測した上で。 野郎になんか見向きするはずがない。 ……という見解からのもの。
あくまで、個人の嗜好からは外れているのに、それを知った上で想いを伝えた、という…… なんかこう、きゅうりあんまり好きじゃない人に、このきゅうりおいしいよ、と勧めた時のような。 そういう、『個人』への対応としてはミスマッチになる事に対しての、己への揶揄であって、世間的な価値観から、野郎同士はおかしなものだ、と言ってるわけではなかったりする。
現場では、贈り物に浮かれて仕舞ったけど。 まぁ運営期間的な要因もあるとはいえ。 これだけ、間が空いていれば、冷静になる時間もたんと取れただろうし。 子供としか見られず、気に掛けて貰えているのは、身体の事とかを心配してるだけで、何か弱弱しい老人とかそういうのを放っておけない的な、それ以上の感情なんてものはないはずで。 なにより、叔父が「その気」になれるのは、女性以外にはないから。 慕情に対しての応答は、やっぱり『NO』しか有り得ない。
荷物のお遣いを少年に頼んだりして、直接、逢わずに済ませたのは、それを伝えることを、躊躇っているのかもしれない。 だから、云う気になって、その気になるまで。 逢いに来る気に、なるまでは。 呼び出したり、連絡したり、そういうことは、しないように。
たぶん、なんか、そんなかんじ。たぶん。
|